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体と脳をつなぐ

三関を通すことは、単に身体の中を何かが流れるという意味ではありません。三関とは、内丹術では気の流れを妨げる関門であり、それを通すことは、身体の閉ざされた部分を開き、全身を一つに結び直していく過程でもあります。

人は日常の中で、頭では理解していても身体が動かない、あるいは身体は動いていても心が散乱しているという状態に陥りやすいものです。しかし三関が通り始めると、頭と身体が別々に働くのではなく、一つのまとまりとして動き始めます。意識が身体の末端まで届き、身体の感覚が脳へと自然に返ってくるようになります。… 続きを読む

太極拳の大周天

最近のネイチャー誌で「人間は、量子の世界を直感的に理解できる可能性があることを示す研究結果」が発表されました。

この論文にあるように、量子世界を直感的に理解するという観点で太極拳を捉えてみます。

武当山の太極拳では、大周天と言う内丹の技法で、重力とその反重力の作用を「天地人」の三体(三才)にて表し、その気の流れを把握して、直感的にその感覚が得られるように修行します。古代の太極拳(内家拳法・太極拳法など)では、気の流れはいわゆるエネルギーという粒子が波を起こし働くものであり、それを折畳という波動として捉え、粒子の感覚を鼓蕩として捉えていました。このように、感受性を研ぎ澄ます太極拳は、気というものを直感的に捉えて理解できていたのです。… 続きを読む

王宗岳 「十三勢歌」

「十三總勢莫軽視、命意源頭在腰隙。」

十三総勢を軽視するなかれ、その要旨は命と意の根源は腰隙にあるということである。

「變轉虚実留意、気遍身駆不稍滞。」

虚と実の転変に留意し、気を全身に行きわたらせるようにして少しも滞らせない。

「静中触動動猶静、因敵變化示神奇。」

静のなかで動にふれると動はなお静かなるごとし、ゆえに敵が変化しても神奇を示す。

「勢勢存心揆用意、得来不覚費功夫。」

ひとつひとつの勢の存心(考え)に意を用いることを揆(はか)ると、覚えず功夫を費やすことになる。… 続きを読む

言葉と道

言葉。言の葉。言の葉はとても不完全ですね。言葉で全ての経験を伝えるのには、本当に不完全です。

道には名前すら無い。このとおりです。だから、太極拳で道を経験する。例えば、言葉。その言葉の一つ一つに本体と作用があります。

本体とはその言葉を発した心。その言葉がそのまま作用。

太極拳なら、意が本体。そしてその意が起こす勢が作用。

言葉の本体と作用を分けて見る。すなわち言葉自体にはその心がある。その理由は言葉では表せない。… 続きを読む

池の鯉

池の中しか知らない鯉は、池の中が全てであり、池の中を泳ぐようにしか泳げない。
大河を泳いだことがある鯉は、池の中にいても、池の框を楽しみながら、大河の中を泳いでいるように泳ぐ。… 続きを読む

香港 – 太極拳

27年前ほど、日帰りなど週に3回は行ったり来たりしていた香港、ここで太極拳を行う人は、この記事のように、いつも武を話します。(参考)
私も、今は無き九龍城で、裏社会に住む人に太極拳を教えていましたが、住民達は套路よりも武道に興味があり、困ったものでした。套路も大切なので、武道の興味を引きつけてしっかりと痛い目をさせてから、套路を教えましたが、やはりこれはうまくいきません。本来の人間の潜在能力にある気勢をしっかり思い出すには、毎日しっかりと気勢のある套路を行うのが最も大切です。… 続きを読む

王師語録#8

王師語録#8

「太極拳を学ぶことは、ただ天真爛漫で天衣無縫な自分に戻るだけのこと。戻れば、もう太極拳など必要ない。元々備わっている無邪気な勢いを何事にも使えば良い。それだけでいい。」

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

「私はなぜか、小学生以下の子ども達に、初対面でもまるで友達のように、いや友達以上に馴れ合われる。王師と電車に乗っているときに、遠足帰りか、なにかわからないが、多くの子ども達が乗り合わせた小学生達の無邪気な姿をまじまじ見ていると、目が合った子ども達数人が私に馴れ合ってきて、膝に上ったり、首に捕まったりし始めたので、長椅子や床にやんわり投げ飛ばしたり、捕まれた腕や首をするりと抜いたりして遊んでいました。子ども達も大喜びで、私もとても楽しい時間を過ごしました。その後電車を降りてから、いつもこうなんですよと言った私に王師が言った言葉です。こんなことは、今でも良くありますが、今日、まだ2才にもならない我が子の朝からの天真爛漫で天衣無縫な姿を見ていたら、この王師の言葉を思い出しました。」

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王師語録#8

やっかいなのは、
何も知らないことではない。

実際は知らないのに、
知っていると
思い込んでいることだ。

(王師?)

(王師と話していた事を回想して語録に記録しています。下記にはその回想のきっかけになった事柄などを記載しています。)

最近ディズニーの映画、『トム・ソーヤーの冒険』が面白いというので、その解説を読んでいると、著者のマーク・トウェインの有名な名言というものに巡り合いました。
この名言を見て、私が、横浜で行われていた太極拳のイベントを、王師と一緒に見に行ったとき、そこに招聘されていた有名だと言われる太極拳の老師の演武や、通訳入りの解説などを見ていて、私に言った言葉を思い出しました。この言葉は王師の言葉と思っていましたが、あれ、同じことを言う人がいるのか、王師がこの言葉を知っていたのか定かではありませんが・・・

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